幼児こそ「ソクラテス」
お久しぶりです、紅掛空です。
来年は更新をもっと増やそうと思います。
さて、今日は最近欲しかった『哲学用語辞典』(プレジテント社)を手に入れて読んでいます。
なかなか分厚い本ですが、哲学を最初に知るにはちょうどよさそうです。
そして面白い。絵が可愛い。
その中で、ギリシャの哲学者、ソクラテスについての内容がありました。
読みながらふと、ソクラレスの哲学はまるで幼児のあの「なんでなんで期」のようだなぁと思ったわけです。
『ソクラテス』という哲学者
紀元前469年頃 - 紀元前399年4月27日の間に生き、そして最後は死刑となりました。
その経緯となったわけは、ソクラテスはアポロンの託宣を通じてもっとも知恵のある者とされました。
何故そうなったのかと疑問に思ったソクラテスは、知る為に様々な人々と議論、問答を繰り返し行い、そして「自分は何も知らない」という事を知っているという事を知ったのです。
これを「無知の知」と言います。
「無知の知」を知ったソクラテスはそして、さらに人々と議論、問答を重ねて行き、人々の無知を暴いていったのです。
言い換えると、全て論破したわけです。
その結果、国から「国家の神々を認めず、人々を惑わせた」という理由で裁判にかけられ、死刑とされました。
数人の弟子がソクラテスにおり、ソクラテスを逃がそうとしました。
しかしソクラテスはそれを拒み、「悪法も法なり」ということで潔く死刑を受け入れたのです。
「なんでなんで」と聞かれたならば
幼児がどうして空は青いの、どうして鳥は飛べるの、なんてことを幼児は容赦なくぶつけてきますね。
これは知的好奇心からの質問期であり、重要な時期と言われています。
私は幼児にとってみれば「無知の知」ではないかと考えたのです。
幼児は知らないから聞いてきます。知らないことを知っているから出来ることです。
そして答える側である大人はもしかしたら知らないことを聞かれるかもしれません。
幼児からの問い、対話によって無知であることを気づかされるかもしれません。
これもまた、ソクラテスの思想の一つ「問答法」です。
対話によって、相手が己自信の無知を自覚させる方法という意味になります。
ソクラテスはこの「問答法」を使い、相手が知っているつもりでも実は知らなかったという事実を気づかせたのです。
そして、正しい知識を学ぼうという気持ちにさせていきました。
ですから、その質問に知らないという事実を気づかされるかもしれませんよね。
まとめ「善く生きる」
ソクラテスは「ただ生きるのではなく善く生きる」という言葉を残しました。
これは死刑を受け入れたときの言葉だそうです。
欲望のままに生きるのではなく、徳を知り、正しく生きることが大切だということです。
ソクラテスにとって、善とは普遍的であり、徳とは知識のことでした。
正しい徳を身に着けてこそ、実行をすれば幸福になれると信じていたのです。
幼児は「なんでなんで」と聞いてきます。
これはソクラテスの「善く生きる」為の、重要な行動の一つではないでしょうか。
徳、つまりは知識を得てこの先を行く幼児にとって、幸福となる初めの一歩になるのでしょう。
小さなソクラテスが「なんでなんで」と聞いてきて、もし知らなかったら共に学ぶのもまた幸福の一歩となるのではないでしょうか。